鳥取

藤田 和俊

鳥取銀行 安川 幸男さん

生き方で決めた鳥取移住。暮らしも仕事も、開拓精神で突き進む

人口最少県である鳥取県の県庁所在地、鳥取市。人口は20万人と決して大都市とは言えないが、山々に囲まれた地形と市中心街から10分ほどで海についてしまう恵まれた自然環境が魅力だ。某雑誌が発表した「住みたい田舎ベストランキング」では総合部門で2019年度1位を獲得するなど、移住者にとって住みやすく、人気が高い街でもある。約3年前に家族4人で移住してきた安川幸男さん(49)は都会の喧騒から離れ、ゆったりとした時間を過ごしながら、仕事では県庁と地銀で新たなキャリアを積んでいる。まさに伸び伸びとした生活を送る秘訣とは何か―。

考える前に動く。直感で決めた移住

東京都生まれの安川さんは、銀行員だった父親の転勤で東京と埼玉で引越しを繰り返しながら育った。「いわゆる故郷といえる場所がなかったんですね。だから故郷というものに憧れていました」と振り返る。そのせいもあってか、小さな頃から鉄道で各地を巡るのが好きな「鉄ちゃん」だったという。「周りすべてがコンクリートのような街で育ってきた。山がなかった。だから今、日々車で仕事に回ることだけでも幸せを感じています。今の時期、田んぼに水をはる季節なんて最高に気持ちがいいですね」と、青々とした山々を遠目に、田園風景が広がる鳥取の景色に魅了されている様子だ。

バスのチケットであちこち出かけていた小学生時代から、楽しいと感じることへと向かう冒険心が安川さんの今をつくっている。その半生は一冊の本になるのではないかというほど。次々に自分の能力を生かせる場所に出会ってきた。いや、安川さんの行動力がそれを引き寄せていると言ってもいい。

「モラトリアムですよね。25歳くらいまでふらふらしていましたから」と笑いながら当時のことを語るほど、多感な若者だった。「エリート銀行員だった父に反発し、家を飛び出したこともありました。18歳のときには沖縄で農業をしたり、成人式を欠席して2カ月ポリネシアに旅に出たり。当時から哲学が好きだったこともあって500冊はゆうに読んだんですが、そういうことが今いろんな視点で物事を見たり、考えるにつながっています」と話す。

大阪でバーテンダーをやっていたころ、マスターに誘われた競馬に熱中。30歳まで競馬の予想会社に4年間働いたのち、出版社に転職する。「社内のゼロイチ(0から1を作っていく作業)が得意だった」と言い、電子書籍を作る新規事業を任された。その実績を買われて31歳でNTTデータに移ると、コンテンツプロデューサーとしてアニメ制作や映画のプロモーション事業に携わった。その後NTTでライブビューイング事業、NTTドコモで東大と共同研究でオンライン教育事業の立ち上げに尽力した。自身の持ち味を生かし、新規事業の分野で活躍してきた。

40半ばまで東京でビジネスキャリアを積んだ安川さん。バリバリと仕事をこなす一方で、人生を考えたときにふと田舎に憧れていた自分を思い出したという。機を同じくして、日本は「地方創生」が叫ばれ、地方の暮らしにスポットが当たり始めていた。ここでも安川さんの行動は早かった。

「ドコモでも地方にとばしてくれと言っていたが叶わなかった。だったら自分で行っちゃえ、と。私はいつも決めてから辞めるんじゃなくてすっぱり辞めて次に行くんです。活動しにくいし、背水の陣で臨むほうがいい」と、退社と移住を決めた。このとき、移住先も転職先も未定だったが「僕は自分の勘を信じているし、その勘で生きている。考えてから動くんじゃなくて、(行った先で)考えるために動くんです」。〝らしい〟決断だった。

培ったスキルを活かして仕事を生み出す

移住と仕事の両面で3つの候補があり、最終的に鳥取県職員の採用試験を受け、鳥取県に住むことを決めた。偶然にも7年前に一人旅で鳥取県を訪れたことがあり、「鳥取空港に降りる前の日本海に目を奪われ、訪れた岩美や白兎海岸がとてもきれいだったんです。そのときは三朝温泉に泊まって。鳥取を走る山陰本線も昔から知っていて。山陰ってどこか最後の聖地という憧れがありましたね」

実は、他県ではNTT時代の年収を確保してくれる企業に転職する話もあったが、そこは自身の「勘」に従った。「ライフスタイルを変えるなら鳥取県だと思ったんです。県庁の採用試験が終わったとき、夕暮れの鳥取駅でビールを飲んでいたんですけど、そのときヒグラシが鳴いていたんですよね。県庁所在地がこんなにのどかなんだなぁと思って。その時には心は決まっていましたね」

田舎の暮らしやすさが移住を決める条件にもなる一方、地方への移住に二の足を踏ませるのが仕事面だ。安川さんの場合は公務員から田舎でのキャリアをスタートさせた。しかし、最初は思い通りにはなかなかいかなかったという。「実は県庁に入って違ったなと(笑)。それが公務員の仕事なんでしょうが、公文書をきれいに書いたり、ハンコを押したり…。自分は何をしているんだろうと思ってしまった」。配属となった課からわずか8カ月後にキャリアを生かしやすい商工労働部に異動となり、起業支援などを行った。「地域を知るために県庁で働けたことは大きかった」と振り返る。

少しずつ鳥取にも慣れてきた2018年4月、地元の鳥取銀行に転職した。「結局、自分は仕事を通して自己表現したかったんですよね。県庁では『自己表現する』と言うことはなかなか厳しく(笑)。そのギャップを埋めるには、自分を変えるか、環境を変えるしかなかったんです」と話す。鳥取銀行では、ふるさと振興本部で地方創生アドバイザーとして同行初の年俸制で契約している。正式な行員採用を断ってまで自分がより動きやすい働き方を選んだという。

現在は、得意分野である新規事業の立ち上げを軸に、県内外を走り回っている。鳥取を理解し始めた安川さんならではの「仕掛け」が、この5月からスタートしたベンチャー型事業承継支援プログラム「アトツギベンチャー・キャンプ」だ。中小企業の若手後継者が受け継いだ経営資源をベースに、新規事業、新市場参入などに挑戦することを支援していくプログラムとなっている。「鳥取では一からのベンチャーは開拓しづらいが、2代目、3代目の若い経営者が事業の転換期を迎えたり、事業継続方法に悩んでいる場合もある」と安川さん。県中部の倉吉市の事務機器メーカーと連携し、その拠点となるコワーキングスペース「SUIKO WORK CAMP」で、新たな動きを生み出している。

東京時代に培ったノウハウや自らの行動力を生かす場が、地方にはあるという。「鳥取は人口が少ないけど、その分、人同士が近い。東京のように競争相手がたくさんいるわけでもない。だからやる気さえあればどこかしら道は切り開けます。仕事を待っている人には向いていないけど、地域に課題は山積しており、そこにスキルや経験を使ってアプローチすることはできる」と話す。

やりがい、生きがいを感じる生活

いつも相談も何もなく自分で決めてしまう安川さん。今回の移住もそうだった。「妻(千穂さん)からは「テロ」と呼ばれていますからね」と笑うが、「でも、家族を巻き込んじゃっているんだなぁとたまに思いますよ。次男は保育園も山に近い園に入れましたので、毎日のように『なんであんな山の中に行かなきゃいけないの』と泣いてましたからね」としみじみと話す。だからこそ、自分も幸せになり、家族を大事にしたいという思いは強くなった。そんなときに地元ゆかりの写真家・水本俊也さんの写真企画で、鳥取砂丘で4人並んで撮った写真は今でも大切にしているという。

撮影:水本俊也

休日は若桜町にある氷ノ山の小屋で泊まったり、ふらっと海に家族で出かけることもあるそう。「特別なことはないんですが、鳥取って30分以内で海も山もあってすごい環境なんです。それが当たり前にある地元の人からは『海に行ってどうするの?』と言われますが、ただのんびりするだけ。でも、僕らからするとそれが贅沢なんです」。仕事でも今は車の免許を取得し、外を回るたびに自然に癒される毎日だ。「東京では往復2時間の通勤。その時間を無駄にしていたようなものですから」と笑う。

だが、妻の千穂さんは妻の視点からみると、実際に住んでみると楽なことばかりではないという。「地区や学校の会合、イベントなど、人が近い分、集まる機会も多い。東京時代よりも時間と気を使うこともある」と田舎の距離感にとまどったといい、「贅沢をいえば、映画館、遊園地、動物園などアミューズメント施設が少ないことは小学生の親としてはちょっと困ります」と率直な意見を持つ。それでも、人が少なく治安が良いこと、自然環境の良さ、地産地消など食べ物が豊かなこと…。移住して良かった点も多い。一軒家に賃貸で暮らしており、マンションや社宅で静かにしていることが求められた東京時代から一変、「暴れていいよ」と言われた子どもたちは、環境に慣れて生き生きと、伸び伸びと暮らしているという。

撮影:水本俊也

縁もゆかりもない鳥取に移住を決めた安川さんだが、その表情からは充実感がにじみ出る。「仕事も求人情報にはない仕事が実はたくさんある。企業や行政の中にも課題解決のために求めている力は多い。だからネットで情報を調べるよりも、足を運んで関係人口としてつながった方が仕事は見つかりやすい」と職探しのコツを話す。仕事や生活と地方暮らしの今を語ってくれた安川さんは最後にこう語ってくれた。

「働き方、暮らし方、生き方の順番で考えるじゃないですか。僕の場合は逆に考えました。どう生きたいか。ポリシーや美学、自分のスタイル。そこから入ると、それに合った暮らし方や働き方が見えてくる」

その前向きな生き様を形にしてくれたのが、「勘」が導いた鳥取県だった。

鳥取銀行 地方創生アドバイザー

安川 幸男(やすかわ ゆきお)さん

1970年生まれ、東京都出身。大学院を中退後、バーテンダー、競馬予想会社、出版社など多岐にわたる仕事を経験。31歳のときに新規事業の立ち上げの手腕を買われてNTTデータに転職。以後、NTTドコモなどグループ会社などでライブビューイング、オンライン教育など新事業を次々に担当した。40代で生き方を考え、かねてから憧れた地方暮らしを選択して鳥取県庁へ。その後、鳥取銀行で地方創生アドバイザーとして地域の活性化にまい進している。小学6年、4年の男児の父。地元新聞のコラム執筆、鳥取大学非常勤講師などバイタリティーあふれる日々を送っている。

(「Glocal Mission Times」掲載記事より転載 )