山口

GLOCAL MISSION Times 編集部

株式会社アデリー 吉塚 秀樹さん

54歳で山口県柳井市へIターン。1年前は知らなかったまちが、人生の楽園に

柳井市は山口県の南東部に位置する、人口約3万2000人のまちだ。瀬戸内の良港だった柳井港は古くから海上交通の要衝。江戸時代には瀬戸内屈指の商都として栄えた。その面影が、名物の金魚ちょうちんが軒先に泳ぐ白壁の町並みに、今も残されている。そんな風情ある町並みから、歩いて数分のアパートで暮らしている吉塚秀樹さん(55歳)が今回の主人公。吉塚さんは54歳の時に、神奈川県川崎市から、縁もゆかりもなかったこの柳井市に移住してきた。その決断の理由は何だったのだろう?また初めて体験した地方ライフの感想も聞かせてもらった。

必要とされる場所で、もう一度輝くために

「あれ、クロダイですわ」

散歩中の吉塚さんが指をさす先には、悠々と泳ぐ数匹の黒い魚影が見えた。ここは、吉塚さんが暮らすアパートの目の前を流れる柳井川。JR柳井駅から500mほどしか離れていない。

「すぐ近くに瀬戸内海があるんです。だからこの柳井川には海水と淡水が交じり合っているんですよ。魚が釣れる場所がたくさんあるので、うれしいですわ」

釣りが趣味だという吉塚さんはそう言って笑顔をこぼす。だが吉塚さんが柳井に移住してきた理由はそれではなかった。
「仕事のやりがいにひかれてきてみたら、海も、山もあって、ラッキーという感じ。山登りも好きなんですよねぇ。でもほんま、たまたまなんです。こんなに暮らしやすいまちとは全く知りませんでした」

今回お話を伺った、吉塚 秀樹さん

吉塚さんは大阪市出身。関西の大学を卒業後、大手機械メーカーに就職。横浜の拠点に配属になり、OA機器のソフト開発やシステム設計に携わっていた。31歳の時には、東京に本社がある印刷会社に転職。商品企画部長などとして手腕を発揮した後、パソコンとインターネットを使ってブライダル用の印刷物を制作・販売する子会社を立ち上げた。今でいうEC(電子商取引)サイトの走り、である。事業は軌道に乗り、会社は順調に成長した。ところがその後、スマホの爆発的な普及とともにPCのユーザーが減少し、市場も縮小。すると親会社は、その子会社をたたむことを決断した。
「そのときに、ここでの自分の仕事は終わった、と感じました。その会社がいやだったわけじゃないけれど、自分が貢献できる場所はもっと他にある。自分はまだまだできる―という気持ちがわいてきたんです」

54歳での転職活動が始まった。

大事なのは自分が貢献できるかどうか。場所は関係ない

いくつかの転職サイトに登録したところ、意外といっては失礼だが、すぐにかなりの数のオファーが届いたという。しかしその理由を聞くと、納得できた。吉塚さんはいわば、インターネットを活用したECのスペシャリスト。ECのノウハウは今、あらゆる業種の企業にとって注目の的なのだ。
しかも吉塚さんは、勤務地や業種にまったくこだわりをもっていなかった。

「住む場所に執着するのは好きじゃなかったんです。神奈川に住んでいる時も、関東に根をおろすつもりはなくて、家は買っていませんでした。もともと、変わることを不安に思うより、楽しく思うタイプ。だから働く場所、住む地域は、どこでもよかったんです。それよりも大事なのは、自分が貢献できる場所かどうか、でした」

希望通り、全国各地の地方企業からオファーが舞い込んできた中で、最も興味をひかれたのが、日本人材機構から紹介された、山口県柳井市に本社を置く「株式会社アデリー」だった。

同社は1977年にギフト専門店として会社を設立。現在はギフトの総合プロデュース企業として商品開発からカタログ制作、物流、販売までを一貫して手がけている。メインは百貨店やギフトショップへのBtoBだが、数年前からBtoCの事業化をめざし、ECサイトを開設。ところが思ったような成果が出ていなかった。

「初めて柳井市を訪れ、社長と面接をしました。女性の社長なんですけど、すごく情熱を感じたんです。困っていることを包み隠さず話してくれ、力を貸してほしいといわれました。ここだったら、自分のキャリアも活かせそうだし、会社に貢献することで私自身も幸せになれそうだと感じたんです」

そうなると気になるのはご家族の反応だ。しかし奥さんに自分の思いを告げると、すぐに理解をしてくれたという。
「妻も神奈川へのこだわりはなかったみたいです。長崎出身だし、私と同じタイプの人間なんですね」と笑う吉塚さん。子どもは2人いるが、1人はすでに社会人として自立。だが末娘は自宅から大学に通っているため、家族での移住は難しかった。そこで吉塚さんは、単身赴任で、柳井へ向かったのだった。

サイトの再構築に挑戦。良好な人間関係を導いた姿勢

新天地で任されたポジションは、「WEB通販部次長」。入社後は、サイト構成の整理から仕事を始めた。

「ターゲットを洗い直してみると、サイトの構成との矛盾が多いことに気づいたんです。今はそこを組み立て直しているところ。あとは販促企画ですね。ネットも今は競合がたくさんいます。そういう中でいかにうちのサイトに集客し、注文してもらうか。そのための付加価値も作っていかなければなりません。まだまだ試行錯誤の途中です」

自分に期待されているのは、EC事業の業績アップ。そのための戦略はすべて任されており、そのぶんプレッシャーは大きいという。

「自分の仕事は、自分で作り出していかないといけません。しかも、早く結果を出したい、という焦りは、めちゃくちゃありますね。それを期待されて入っているわけだから」

それでも、働き心地はよさそうだ。

「会社の人間関係はいいですよ。直属の部下は4人いて、みんな若いです。1人が30代で、あとは20代。自分の子どもみたいなもんですね(笑)。でも年齢のギャップも感じることなく、うまくコミュニケーションをとれています」

そんな良好な人間関係を築けた裏には、吉塚さんの気遣いもあった。
ECサイトについては、吉塚さんはスペシャリスト。今の会社では随一のキャリアを誇る。しかし吉塚さんにとっては初めての業界であり市場だ。ましてや会社のことはなにもわからない。だからまずは、たとえ相手が年下であっても、自分から頭を下げ、教えを乞うた。

「なにもわからないうちは発言しちゃいけないと思っていました。社内で疑問に感じることがあっても、簡単に否定してはいけない。そうなってきた理由が、それなりにあるはずだからです。みんなからすれば、この会社では自分たちのキャリアの方が上だ、というプライドもあります。その気持ちを理解しながらやってきたのが、よかったのかもしれませんね。でも、無理に溶けこもうとしたわけじゃありませんよ。無理はしちゃいけない。無理は続かないですよね。そこは、時間をかけることが大事だと思います」

住んでびっくり。柳井の意外な暮らしやすさ

現在は、大学生のとき以来という、アパートでの1人暮らしを満喫中だ。

「新鮮ですね。こっちに来る前はそんなに家事をやるタイプじゃなかったんですが、今はちゃんと自分でやってますよ。ただ、最初の半年で15㎏太りました(苦笑)。自炊が中心なんですが、1人だと食べ過ぎちゃってね。しかもカロリーが高い冷凍食品ばかり食べてたから…。まずいと思って、ダイエットを始めました」

現在は毎朝、5時過ぎに起きて、のんびり1時間ほどジョギングを楽しむ。走るコースはその日の気分しだいだ。

「川沿いを走ったり、海のほうに行ったり。ちょっと負荷をかけようと思ったときは、山に行きます。10分ほど走ったところに、500mくらいのちょうどいい山があるんですよ。アップダウンを走るのは楽しいし、朝の山の空気は本当においしい!」

休日はほぼ毎週、神奈川から乗ってきたというバイクにまたがり、釣りに出かけている。

「神奈川時代は月に1回行けたらいい方でしたから、週末が本当に楽しみになりました。好きなのは、フカセ釣り。アジ、サヨリなど、季節によっていろんな魚が釣れます。揚げたらこれがまた美味いんですよねぇ。ビールに最高!だから太っちゃうんだけど(笑)」

柳井の意外な暮らしやすさにも驚いたという。実は、とある雑誌が調べた中四国の「住みやすいまちランキング」で、柳井は2位にランクされたこともあるのだ。

「それは、来てから初めて知りました。でも住んでみて、なるほどと思いましたね。山や海といった自然が近いだけじゃなく、生活機能が一応、全部揃ってるんです。コンビニは少ないんですけど、スーパーの多さは尋常じゃありません(笑)。めちゃくちゃある。お医者さんも都心のコンビニ並みにありますよ。こっちにきて1度、歯が調子悪くなったんですけど、近くに何軒も歯医者があるので全く困りませんでした」

歳を重ねたら、地方がいい。そう確信した理由

転職でもう1つ気になるのは、お財布事情。転職前後では、年収はどう変化したのだろう?

「確かに転職前より2割減りました。でも神奈川にいたときのほうが生活のコストが高かったからですねぇ。今はこのアパートの家賃も会社が負担してくれていますし。それにこっちは車通勤の人が多いんで、飲み会も少ないんです。そのぶんお金を使うことも少なくなったので、家計的には困ってはいないですね。ちなみに今住んでいるアパートの家賃は月4万円。ここは駅から近いのでこれくらいするけど、駅から離れたら、4万円もあれば一軒家が借りられますよ」

むしろ暮らすほどに、吉塚さんは柳井のよさ、地方のよさを感じているようだ。

「若いときは都会がいいと思っていたんですが、歳をとって、夫婦で暮らすなら、地方の方がいいなぁと思うようになりました。とにかく、のんびりしているのがいい。渋滞なんかないので、どこへ行くにも、移動がスムーズです。思い立ったら、すぐに行ける。地方のほうが、時間を有効に使えます」

特に大きな違いを感じるのは、通勤時間だ。転職前の職場は、東京。22時に仕事が終わると、川崎の家に帰り着くのは24時近くだった。ところが今は、車で5分で帰宅できる。

「例えば22時に会社を出ても、22時5分には家に着いているんです。最初は『あれ?』っていう感じでしたね(笑)。しかも週2回の定時帰りの日なんか、18時5分には家にいるんです。そこからは全部、自分の時間。生活の楽さが全然違いますよ」

逆に、柳井に来て困ったことをたずねると、2つの失敗談が返ってきた。

「1つは、店が閉まるのが早いこと。早く帰れたので自動車を見に行こうと思ったら、もう閉まってました(苦笑)。もう1つは、電車ですね。首都圏だと、電車なんてしょっちゅう来るものじゃないですか。時刻表なんか見ることもなかったんですが、その感覚でこっちで新幹線を利用したら、駅で1時間半待ったことがあります(苦笑)」

奥様も3回、神奈川から柳井に遊び来たそうだ。そのついでに、四国旅行も楽しんだとか。柳井港からは愛媛県の松山港までフェリーが就航しているのだ。

2年後には、大学生の娘さんが大学を卒業する予定。その後はどうなるのだろう?おそるおそる尋ねてみると、

「カミさんもこっちに来て、一緒に暮らすことになっています」

と吉塚さんは照れ臭そうに、でもとてもうれしそうに教えてくれた。

「カミさんも柳井を気に入ってくれましてね。二人になったら、いろいろ旅行したいねって話しているんです。山陰地方、広島、岡山、九州…、柳井からだとどのエリアにも行きやすいからですね」

1人でも楽しいが、2人になるとますます楽しくなりそうな、地方ライフ。プライベートの時間を思う存分に楽しむためにも、「仕事でも早く結果を出し、会社に貢献していきたいです」と、吉塚さんのモチベーションは高まり続けている。

株式会社アデリー

吉塚 秀樹(よしづか ひでき)さん

1964年(昭和39年)、大阪市生まれ。関西の大学を卒業後、大手機器メーカーに就職。OA開発工場の設計部などで8年勤務した後、印刷会社に転職。ネット事業課課長、商品企画部長、首都圏営業部長を経て、ブライダル関係の印刷物をインターネットで販売する子会社を設立。取締役として9年間経営の采配を振るった後、子会社の再編を機に退職。2018年10月、日本人材機構の紹介で出会った「株式会社アデリー」に転職。現在は、商品事業本部WEB通販部次長として、ECサイトの企画や販促活動に取り組んでいる。家族は、奥様と二人の子ども。大学3年の娘さんが神奈川の自宅から関東の大学に通っているため、現在は柳井市に単身赴任中。趣味は、釣り、山登り、バイク。

(「Glocal Mission Times」掲載記事より転載 )