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GLOCAL MISSION Times 編集部

亀印製菓株式会社 マーケティング本部 本部長 吉川 康明さん

キャリア総決算の地は水戸!転職と大学院で培ったノウハウを、老舗企業の改革に注ぐ

流通業界や食品業界を中心に数々の大手企業で活躍。その後、51歳で大学院に進み、MBAを取得した異色の経歴を持つ吉川康明さん。そんな吉川さんがキャリアの総決算として選んだ仕事は、茨城県水戸市に本社を置く地場企業「亀印製菓」の再生。そして今、吉川さんが積み重ねてきた経験や人脈は着実に、江戸から続く老舗企業を生まれ変わらせようとしている。

ゼネラリストの冒険。51歳で大学院へ

水戸市は、茨城県の中央部に位置する県庁所在地。人口は約27万人。那珂川をはじめとする27もの河川が市内を流れ、昔から水が豊富にあることから、水の出口を差す「みと」という地名がついたといわれる。街の中心部にある千波湖は、市民の憩いの場。そのほとりには日本三大名園の1つ・偕楽園がひろがる。園内には3000本もの梅が植えられ、2月から3月にかけては梅の名所としてもにぎわうという。

そんな水戸市を代表する老舗企業が「亀印製菓株式会社」だ。創業は1852年(嘉永5年)。江戸時代から水戸藩御用達のお菓子を作り続け、現在は贈答用の和菓子から、家庭用の和菓子や洋菓子まで、幅広い商品を取り扱う。やわらかな求肥と白あんを甘酸っぱい赤しそで包んだ看板商品「水戸の梅」は、市民熱愛の銘菓。また本社工場には「お菓子夢工場」「お菓子博物館」も併設されており、水戸の新名所になっている。

今回の主人公・吉川康明さんが、そんな「亀印製菓」に転職したのは2019年2月のことだった。吉川さんにとってはなんとこれが十社目の企業だったという。

「結果としてそうなったということですが、振り返ると、自分が行き詰まって、このままではいけないなという時に転職しています。だから自分の中では現状を打破し、自分の未来を切り開くイメージで転職をとらえてきました。振り返ってみても、後悔したことは1度もありません。30年ずっと走りっぱなしでここまできた感じです」

亀印製菓株式会社 マーケティング本部 本部長 吉川 康明さん

大学新卒で入社したスーパーを皮切りに、百貨店、コンビニ、アイスクリーム、ドーナツなど、大手企業の営業現場でキャリアを積み重ねてきた。さらに51歳の時には当時の会社を退職し、慶應義塾大学大学院経営管理研究科に進んだ。
「実はそのとき勤めていた会社に、セカンドキャリアプランという形で、早期退職をした場合には退職金が増える、という制度があって、自分でも、『このままずっとここにいても、これ以上のことができないのではないか?』という思いがあって、以前から気になっていた大学院で経営学の勉強をする決断をしました。大冒険でしたね。2年間、慶應の日吉の校舎に朝から晩までいて、ずっと勉強していました」

51歳での猛勉強。その背景にあったのは、ある種の危機感だった。

「私のキャリアは、スペシャリストではなくむしろゼネラリストです。しかし本当に求められるゼネラリストになるためには、もっと勉強をする必要があると感じていました。そういう意味では、大学院での2年間は本当に勉強になりました。マーケティングや財務・会計管理、組織マネジメント、生産管理などを勉強でき、経営全体が見られるようになりました。しかも慶應の場合、単なる座学ではなく、さまざまな企業の事例を題材に、毎日何件も勉強して意思決定するという極めて実務的な授業でした。2年間で約300事例ぐらいでしょうか?卒業後にその成果を示すことができるということが何より大きいと思っていました」

すべての経験が活かせる場所を求めて

大学院でつかんだ新たな自信を足掛かりに、吉川さんは喫茶店の全国チェーンに転職。物流システムの整備を担当した。着実に成果をあげ、会社に貢献。しかし、物流だけでは経営の根幹に携わることができない。その物足りなさと、さらなるキャリアアップへの思いが募っていたときに、日本人材機構から紹介されたのが、「亀印製菓」だった。 当時、「亀印製菓」は、40代の新社長のもとで経営再建の真っ只中。吉川さんは、そのキーマンとして招かれたのだった。

「亀印製菓は歴史もあり、地域はもちろん、銀行や行政にも信頼されている茨城県有数の企業です。しかしこの数年間売り上げ不振から経営難に陥ってしまいました。幸い銀行や行政が支えてくれて現在に至っていますが、そこには亀印に対する期待の表れと感じました。
また亀印はまだまだポテンシャルが高く、お客様の立場に立って商品や店舗運営、対外的な営業活動を見直し質を高めていけば、再建することは十分可能だと思いました。そして何より、そのことを実現するのに、自分のキャリアをすべて活かせるのではないかと思い、決断に至った一番の理由ですね」

実際吉川さんを待っていたのは、会社を再生させるというミッション。今の肩書は「マーケティング本部長」だが、その部署も自ら立ち上げた。製造部門と営業部門を一体化したマーケティング本部を発足。その統括が、現在の吉川さんのメイン業務だ。

「どの企業でも、製造部と営業部が対立することが多いといわれております。製造部は作って、それが売れないと困る。一方の営業部は、お客様に合わせなければならない。生産計画と営業計画がなかなかうまく噛み合わない、というのが世の常みたいなところがあります。それがうまく噛み合うことが一番の理想。そこで組織を一緒にしてしまったんです」

製造と営業がしっかり話し合ってものごとを決め、決めたら必ず実行する。そんなメーカーにおいての理想のスタイルの実現を吉川さんは目指している。

保守的だから、改革の伸びしろがある

同時に吉川さんの視線は、ブランドの立て直しにも注がれている。

「まずは商品をよくすることが大事。和菓子屋ではあるものの、こんな美味しいものもある!というお店には、お客様は必ず戻ってくると思っています」

実は最近では菓子業界にも変化の波が押し寄せてきている。和菓子と洋菓子の垣根がなくなりつつあるのだ。例えば、洋菓子もあずきや抹茶、きな粉といった和の食材を積極的に取り入れるようになった。逆に、クリームを使った和菓子がヒットしているケースもある。

「今は和菓子と洋菓子が融合し始めています。ですからあまり垣根を考えないようにしています。でも元来、和菓子屋はすごく保守的。だから出す商品が決まってきてしまっているのですが、だからこそ改革できるチャンスがあります。今までと違うことをするにしても、難しく考えず、まずは行動することだと思います。伸びしろはいっぱいありますので、きっちりと見極めて商品戦略をしていきたいと考えています」

そんな言葉通り、入社して早々、会社の看板商品である「水戸の梅」のデザインリニューアルに着手した。

「今までは商品によってイメージもデザインもバラバラで、季節感もありませんでした。そこを合わせるために、『水戸の梅』のデザインを変更することにしました。これをひとつの基軸にしてうまく横展開することができれば、ブランドカラーやコーポレートカラーもきれいに統一できるのではないかと思っています」

しかし、改革には反対がつきものだ。外から飛び込んできた吉川さんの提案に、社内から反対の声はあがらなかったのだろうか?

「『水戸の梅』の場合は、私が来る前から話が進んでいたところに、私が後から入り混んでコントロールし始めたが、反対はありませんでした。ただ、地方企業特有の横並び意識みたいなものがあります。あんまり、はみ出したことはできない…みたいな。でももっと自由に競争し、お互い切磋琢磨していいものを作りあげていくのが本来だと思います。最近は和菓子屋もどんどん減っています。明日は我が身です。だからこそ、成長し続けるためにどうしたらいいのか?ということを常に考えていく必要があると思います」

販路や食材調達先の開拓にも自ら奔走

取引先が従来と変わらず限定されると、社内のムードも停滞していくもの。そこで吉川さんは自ら新たな取引先の開拓にも奔走した。

「私はたまたま大手にいたので、良い取引先に恵まれていました。そこで自分から働きかけて、亀印との取引をお願いしています」

例えば展示会は必ず初日に出かける。「初日は現場に社長が来ていることが多いから」と吉川さん。そして社長に直接名刺を持っていき、「ご無沙汰しています」と吉川さんが挨拶すると、だいたいの方が覚えてくれているという。高級食材スーパーやドーナツチェーン時代に担当していた乳業メーカーを直接口説き、良質な牛乳や生クリームの調達に成功したこともある。

「自分は今こういうことをやっているので、力を貸してくれませんかとお願いすると、社長さんが担当者を呼んでくださり、話が進む、ということが随分あります。皆さんなぜか本当によく覚えてくれていますね。自分としては役得だなぁと思っていますけど(笑)」

しかしそうした人間関係も、吉川さん自身で築いてきたものだった。常に目の前の仕事に全力投球。いつでも、「もっとよくできないか?」と悩み、行動する。だから人脈もひろがるし、鋭いアンテナが必要な知識をキャッチできる。
入社後のわずかな期間で次々と打ち出される改革案のすべてが、そうして増やし続けてきた「引き出し」から生まれてきたものだった。

「自分でも、過去の経験がこれほど役に立つとは思ってもいませんでした。製造と販売の一体化も、尊敬する経営者から聞いた話が強烈に残っていたので、それをここでやってみました。大学院で勉強したことも役に立っています。よく、『学校で学ぶような座学的なものは現場では生きない』と言われますが、そうではないと思います。問題は、何であっても現場では上手くいかないことがある、ということを十分理解して臨むこと。実際、亀印でもいろんな問題に当然出くわします。そのときに、自分で持っている引き出しが必ず何かの役に立つ。それが現場なんですよね」

上から目線ではなく、自分から入り込む

実際、現場を変えていくのは大変なことだ。当初は苦労もあった。

新設したマーケティング本部で毎週月曜に製販会議を行うよう決めたものの、なかなか定着しなかった。また会議の中で言いたいことをちゃんと言わず、後になって言ってくることも後を絶たなかった。そのたびに会議の意義を説き、チーム全員で情報を共有する大切さを辛抱強く説いた。

製造と販売の風通しをよくするために、オフィスのレイアウトも工夫した。吉川さんのデスクの側に、製造の工場長、隣に営業部長という配置にしたのだ。と同時に吉川さんは、必ず自分から話に行くように心がけている。

「普通は上司はどうしても待ち姿勢になります。『ちょっとちょっと』と部下を呼びますが、そういうことをしないんです。逆に私の方から行くようにします。そうすると相手も逃げられなくなりますので…(笑)」

部下からすれば、ありがたいような、ちょっと面倒くさい上司。しかしこうした「自分から行く」姿勢こそが、人間関係を築いていくうえでも大いに役立っている。

「地方に転職する際は、そこの人間関係や文化になじめるかが不安…という話も聞きますが、それは地方も都会も関係ないと思います。違う会社から来たら、所詮よそ者なんです。私も以前親会社から系列の子会社に移った経験がありますが、その時もそのように感じましたから。でもやり方ではないかと思います。私はとにかくすっと入り込んでしまう性質なんです。しかしそこを入り込めずに、上から目線で命令口調になりがちな人たちは摩擦を起こしてしまいます。そういうのを間近で見ていましたので、とにかくそれは絶対にしないようにしようと。第一、自分は会社のことがわからないんだから、いきなり偉そうなことは言えない。自分が逆の立場だったら、わからない人が上に来て、いっぱいいろんなことを言われたら嫌なので(笑)。それは一番気を使った部分ですね」

亀印製菓株式会社 マーケティング本部 本部長 吉川 康明さん

人生でこれほど期待されたことはない

一方で、吉川さんは地方企業ならではの魅力も感じている。

「まず、お客様との距離が近いですよね。組織も非常にコンパクト。良いことも悪いこともすぐ聞こえてきます。そのため解決するスピードが早ければ、改革や再建もどんどん進めていくことができると思っているんです」

また吉川さんの強みは、フットワークの軽さ。それを活かす環境が今の会社にはあるようだ。

「社長は40代で、私よりもひと回り以上も若いです。私のこともよく受け入れてくださり、自分の方からどんどん声をかけてくれるので、ありがたいです。だから私自身も、自分から動くということをやり続けています。待ちの姿勢で社長から言われるのを待っていても物事は進みません。また自分にそんなことを求められているわけでもないので、自分で問題点を見つけて、どんどん解決していく。そのほうが早いですから」

しかし、仕事の幅は広く、課題は盛りだくさん。だからこそ、
「数年後にこうしたいというイメージと、その企業への情熱がなければ、この仕事はできない」と吉川さんはいう。

「社長は若いですが、非常に頭脳明晰な方です。会社のために本当に汗水流してやっていらっしゃいます。そんな方に信頼していただけているので、非常に意気に感じているところがあります。その期待に応えられるように、亀印をいい会社に変えていこうという気持ちが強くあります。これほど期待されていることは、今までの自分の人生ではないので、この期待に応えないでどうする!という気持ちで日々働いていますよ」

そう言って、吉川さんは目を輝かせる。

人を動かしたいなら、後ろから押せ

そして今、吉川さんが蒔いてきた改革の種は、少しずつ芽を出しつつある。

「仕掛けたものが少しずつ成果が表れてきて、数字が上がってきています。手をかけたら、かけた分だけ答えが出るという手ごたえを感じているところです。やっていける!という可能性を感じています」

心配していた従業員たちも、吉川さんの改革案を受け入れ、新たな取り組みに素直に取り組んでくれているという。なにか、人を動かす秘訣があるのだろうか?

「いつも言っているのは、今までと同じことをやっていてもうまくいかない、ということです。会社を変えない?自分たちでもうちょっと良くしたいと思わない?といつも語りかけています。社員の意識を引き上げるのが私の仕事。といっても、人間は引っ張っても動きませんから、後ろから押すイメージでやっていますよ。ガーンとね(笑)」

初めて地方の企業で働いてみて、いろいろな人に支えられているという実感もあるという。

「お客様や従業員だけじゃなく、行政や銀行にまで支えてもらっている会社は、本当に貴重な存在だと思います。なかなかそういう会社にはなり得ない。だからこそ、なんとしてでもこの企業を再生したいと思うんです」

東京育ちの吉川さんだが、自然と水戸への思いも高まってきたようだ。

「茨城県は知名度が低いといわれているので、県や市もイメージアップに必死です。そこには全面的に協力したいと思っています。本社の建物もロケーションが良いと思われていてて、テレビや映画、ミュージックビデオを作るときに時々、撮影の申し込みがあります。亀印製菓という会社はそういう意味でも水戸のちょっとしたシンボル的な存在になっているんです。これからも活力のある地元づくりに貢献していきたいですし、水戸にはこういう会社があって、そこのお菓子は絶対買わなきゃ損だよね、と言わせるぐらいにしたいなと思っています」

会社を再生し、再び成長軌道に乗せることが、地域の活性化にもつながる。そんな新たなやりがいも、吉川さんを動かす原動力になっているようだ。

仕事と趣味が一致する幸せ

商品開発においても、どんどんアイデアを出しているという吉川さん。実は吉川さん自身も食べることが大好きで、料理もよく作る。

「いろんなスーパーや百貨店へ足を運び、商品を見にいきます。例えば、ある店で700円するケチャップが瞬く間に売れているのを見たりすると、やっぱり値段じゃないんだな、お客様は商品の価値を見ていらっしゃるんだなと思います。今は、安くしないと売れない時代ではない。マーケットが求めるものであれば売れるんだと」

商品と顧客の動きや会話をつかむことがマーケティングならば、東京の「デパ地下」は格好のマーケティングの場だ。水戸に移住してからも、思い立ったら東京へ足を運ぶ。

「都内にサッと行けるのは水戸の魅力だと思います。都内に行けば食べ物についてだけでなく、いろんな情報がありますので勉強になります。やっぱり最先端をいってますから、刺激になります」

気になる商品があれば、味を確認し、次の商品企画のヒントを探すとか。

「この間も自由が丘に行って、モンブランの元祖を買って帰りました。会社のみんなで食べて研究しようと思いましてね。そんなことの繰り返しで体重が増えてしまいました(笑)」

そう話す幸せそうな笑顔からも、趣味と仕事が融合する現在の充実ぶりがうかがえる。

本当にやりたい仕事が、東京にあるとは限らない

出身は神戸だが、物心ついた頃から東京で育ってきた。水戸には30年前に仕事で3か月ほど駐在していたことがあるくらいで、本格的に暮らすのは今回が初めて。だが移住によるマイナスを感じたことはないという。

「今はインターネットの環境も進んでいますし、通販もありますし、テレビも東京と同じキー局の番組が映ります。スポーツクラブに行っても東京の施設と何ら変わりません。今の時代はなんでも標準化されています。生活に困ることはありません。むしろ自然がプラスされているだけ、暮らしやすい。私は水戸の中心地に住んでいますが、うちのそばでもウグイスが鳴いてます。茨城にもいいところがすごくいっぱいあります。大事なのは、自分自身でそういうところを探しながら、いかに都心にいた時のペースに持っていけるかだと思います」

その土地を楽しむポイントも、自分から動くことだと話す吉川さん。
しかしその一方で、転職の決断をする際はあくまでも仕事の充実に重きを置くべきだとアドバイスしてくれた。

「24時間の中で一番多くを占めているのが仕事です。ただし、自分が本当にしたい仕事は何なのかを、確立すべきだと思うんです。東京にいてビジネス街を颯爽と歩くのはかっこいいですけれど、それは仕事ではありません。そこがきちんと確立できたら、地方でも全然問題ないと思います。むしろ地方のほうがやれることがいっぱいあるかもしれない。やっぱり東京は組織がものすごく大きい会社が多く、思い通りにいかない部分もかなりあると思います。でも地方だと発展途上の会社が多いです。その会社の何かを変えていこうというときは、自分が持っている引き出しをいくらでも引き出すことができるはずです。」

転職は決して後ろ向きな決断ではなく、自らを磨き、自らの力を活かすチャンス。そのチャンスを呼び込むためにも、今目の前にある仕事に貪欲に取り組み、自分の引き出しを増やしていく大切さを、吉川さんの体験談は教えてくれている。

亀印製菓株式会社 吉川 康明(よしかわ やすあき)さん

「亀印製菓株式会社」マーケティング本部長。1961年神戸市生まれ。東京で育ち、大学卒業後、大手流通小売業に就職。その後、百貨店、コンビニ、高級食材スーパー、業界誌、菓子メーカー、ドーナツチェーン、喫茶店チェーンなどへの転職を経験。店舗のオペレーションから、販売促進、商品開発、購買・物流システムの構築、新規事業の立ち上げまで、幅広い業務を経験。2012年には慶應義塾大学大学院経営管理研究科に入学し、MBAを取得。2019年から茨城県水戸市の「亀印製菓」に入社し、社長のパートナーとして経営再建に取り組んでいる。