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GLOCAL MISSION Times 編集部

株式会社NOTE 代表取締役 藤原 岳史さん

コミュニティを掘り起こし、古民家から町や経済をデザインしていく

兵庫県篠山(ささやま)市*といえば、黒豆や栗が名産で、「デカンショ節」に地名が登場するような山間部の町というイメージだ。古い歴史を持ち、伝統的建造物群も残るが、市内にいくつもある集落は人口減による空き家の増加に悩んでいる。それらに命を吹き込み再生させる事業に取り組んでいる、新しい動きがある。その中心で地域再生を牽引する株式会社NOTE(ノオト)代表取締役の藤原岳史さんに話を聞いた。
(*2019年5月1日より丹波篠山市に市名変更予定)

「取引の98%は東京」。地方に行き届かないITサービスに疑問を抱く

誰もが頭に思い描く「日本の原風景」というものがある。奥に山を抱き、手前に田畑が広がり農家が点在し、夕焼けの空にカラスが鳴いて……。たとえ都会育ちであってもこんな共通イメージを抱くのは、かつて日本のどこにでもあった里山の景色がDNAに刻みこまれているからに違いない。
築後150年以上の古民家が点在する、兵庫県篠山市の丸山(丹波篠山)エリア。それら古民家のほとんどはかつて空き家だったが、リノベーションされ、現在は宿として稼働している。

「ここは限界集落だったんですよ」と、株式会社NOTE(ノオト)の藤原岳史さん。「12軒中7軒が空き家で、住民のほとんどはおじいちゃんおばあちゃん。パソコンや携帯電話にも馴染みが少ない、そんな平凡な田舎の暮らしがそこにありました」
そんな集落とどのように関わりを持ち、いかにしてこの状態にしたのか──。

藤原さんは、この篠山市で生まれ育ったという。大学卒業後、大阪で外食産業に就職。マーケティングを担当し、28歳でIT系のベンチャー企業へ入社。その会社は2007年に上場を果たした。そこで一度立ち止まり、ふと考えた。

「取引先の98%は東京や大阪の会社だったんですね。ITって土地や場所に関係なく仕事ができると言われるわりには、地方に向けたサービスが全然できてないじゃないかと」

地方を中心に事業をやりたいと思っているとき、故郷の篠山の知り合いに当時篠山市の副市長だった金野幸雄を紹介され一般社団法人ノオトの創業期に参加。2009年のことだ。しかし、最初から古民家再生を手がけていたわけではなく、まちづくりの会社として公的施設の指定管理業務などを行っていた。そこに転機が訪れた。

株式会社NOTE 代表取締役 藤原 岳史さん

村に残された「空き屋」という産物に、命を吹き込む

「2009年は、丹波篠山築城400年という節目に当たっていました。篠山市としては派手にPRしてイベントを開催するのではなく、市内の集落が30年後50年後、100年後どうありたいかを考える、内向きのイベントをやったんです。各集落が企画を出し合ったのですが、城下町や有名な黒豆、栗の産地はいいけれど山間部はなにもない。で、そこへ話を聞きに行ってみたんです」
ここから丸山との関わりができた。

地域で事業を展開する際、そこの産物やサービスありきで進めるが、NOTEのメンバーはまず住民に話を聞くことから始めた。どうやってここを事業化したら……と思いつつヒアリングしているとき「ここにあるのは空き家ぐらいや」というひと言が出てきました。
「これだ!と思い、空き家を宿屋にしてレストランもつくるという話に進んでいきました」。

当初は、自身のIT企業でのスキルを活かせないかとも考えていたが、おじいちゃんおばあちゃんしかいない丸山住民はパソコンや携帯電話を使ったITサービスはほとんど使えなかった。
しかし、宿という事業をそれぞれの役割や業務ごとに分担すれば、村人にパソコンや携帯電話を使わせなくて済むと考えたのです。

ITを使った情報発信は、自分たちが担う。村の人たちにはお客さまをもてなしてもらう。「なんや知らんけどお客さんが来てくれるようになった」というのでいい。古民家再生と宿泊をセットにして、PRや予約受付などは最新のITサービスを取り入れた瞬間、事業となった。

「自分の孫や親戚を招き入れるように泊めてくださいってお願いしています。村のみなさんと話してみると、夕暮れどきに子どもが帰ってきて家々の明かりがついている光景に哀愁を持っているんです。今じゃすっかり空き家で真っ暗で…と肩を落とす」

それをもう一度見せてあげたい。単に電気をつけるだけじゃなくて、人の気配を感じる明かり。それを形にするならば、宿に泊まる人が一日の住民になってくれればいい――。藤原さんの手がける古民家再生が、ここから始まった。
宿泊棟の「明かり」という名前はそのことに由来しているという

「何もない」という体験、それが売り物

丸山地区の限界集落は、「集落丸山」と名付けられ2009年の11月にオープンした。

「最初は3棟からのスタートでした。で、宿泊客がどんどん増えていったんですね。なんで来てもらえるのか不思議で口コミを調べたら、“絵に描いたような農村の暮らししかないのがいい”と。映画やドラマに出てきそうな風景がリアルにある、というんです。何もないけれど、『ある』って」

この「ある」は、モノではなくコトなのだ。新築のきれいな旅館やホテルでは味わえない。業種的には旅館業だが、実際は“体験”を売っている。田舎で、自分が暮らしたかのように過ごす一泊の体験。
「これは行けるんじゃないかと手応えを感じ、さらに再生エリアを広げました」

地域活性化のミッションが下ると、まずはそこが抱えている課題の列挙から始めることが多い。藤原さんは、そこに異を唱える。
「少子高齢化は、集落に限らず日本のどこにでもある。国がそれを解決できないのに、小さな集落で解決できるわけがないです。でも、コンサルは表向きの計画書だけ書いて帰っていく。それでは、事業になりません。そこで課題の列挙はやめ、ここに昔からあるものは何かという話をしてもらうことにしました。すると、どんどん出てくるんです」

たとえば、村でしか流通していない在来種の野菜。「こんな料理があるねん、と話をしてもらうと、村の人たちも元気になる。何かできるんちゃうか、と前向きになってくれるんです」

相手の目線に立つことで、心の壁を取りはらう

藤原さんは、集落に行くとまずは自治会などのコミュニティに目を向けるという。住民との接点を持ち、ヒアリングしてヒントを探すのだが、「この空き家になっている生まれ育った家がそのうちなくなりますよ、と言っても『息子も東京におるし、うちの代だけでいいねん』と皆さんおっしゃいます。でも、あなたの家だけじゃなく集落自体残したくないですか?と問うと、たちまち“コミュニティ全体の問題”となります」

村人たちは、空き家を使うことがこの村のためになるのなら、と承諾してくれる。まちづくりに貢献するという意識に変わるのだ。空き家を使うことで村の文化を継承する、ということも丁寧に説明する。「すると、それまで『知らない』と言っていた空き家の持ち主の連絡先も教えてくれるんですよ」

ヒアリングが進んでいくと、こちらが予習した以上のことを「これ知らんやろ」と出してきてくれることがある。「人と対話しながら、コミュニケーションを取りながらつくり上げていくのはIT業界でプログラムやシステムをつくり上げるのと同じフロー」と藤原さん。コミュニケーションができないとお客さまが何をほしがっているのか掴めない。できる営業マンが見積りのつくり方がうまいのは、その証拠でもある。藤原さんはそのノウハウをNOTEでも活かしている。

実際の宿泊業務を運営しているのは、集落丸山では地域の人々だ。規模が大きい場合はプロの事業者に委託することもあるが、コンテンツを見るとやはりお客さまが地域に溶け込めるアイデアが盛りこまれている。

「今、岐阜県の美濃で手がけている案件ですが、鍵を渡してくれる人、掃除をしてくれる人、など、宿泊サービスに携わってくれているのは、すべて和紙の街を支えてきた地域の方々です。みんな本業の合間に、力を貸してくれているんです。なので、『工房見に来る?』と誘われることもあります。宿の女将は代々続く和紙問屋の人だったりもします。歴史や暮らしがコンテンツそのものになっているわけです」

「時空間的な付加価値」で、不動産としての価値を生み出す

古民家をリノベーションし、宿泊施設や飲食店、ショップなどとして運営していくには、当然まとまった資金が必要だ。NOTEではそれをどうまかなっているのだろうか。

「銀行なんかは、不動産の価値を見て融資額を決めますよね。日本の場合、不動産は土地と建物をセットで考えています。滞在施設の場合、木造建築は築後17年で法律上は0円になる。他の用途においても最大24年。伝統的建造物でも、建物の価値はゼロ。200年前は価値があったんですが今はね…と。これはおかしいと思ったんです」

そこで藤原さんは、「古民家の空き家をリノベーションした場合」の価値をプレゼンテーションした。長い時間の中で刻まれてきた暮らし文化と、現在では建てられない空間を活かすことで、1泊5万円で月100人のお客さまが泊まると、500万円の売り上げが生まれる不動産となる。テナントの箱になるようなもので、社会的な異議もある。すると、それまで知らん顔をしていた銀行が興味を示した。

「ひとつでも多く実績をつくっていって、金融機関や投資家さんが出資する形にしたいと思っていました」──しかし、当時の事業主体は一般社団法人ノオトだった。非営利であるがゆえ、せっかく投資の話にまで運んでも、基金や寄付金という形など、資金の集め方にすぐに限界がきてしまう。

「ならば、融資や投資をしてくれる人のためにも、株式会社NOTEを別に設立しようと考えました。社会的な側面は社団法人に、収益事業は株式会社でと、機能の使い分けを図ることができるようになったのです」

補助金に頼らず、事業として持続できる仕組みを

藤原さんが仕掛ける古民家再生によるまちづくりには、当然雇用も生まれている。旅館には欠かせない女将を誰に任せるかを考えたとき、大阪や東京に出ていっている村の出身者が有力候補となる。しかし、戻ってきてもらうためにはある程度の経済的ベネフィットを提示せねばならない。
「大都市で働く20代前半の手取り額がたとえ20万円くらいでも、地元ならば可処分所得は意外に残るんです。それだったら帰ってきた方がお小遣いが貯まるし、時々都会に遊びにも行けるじゃないですか」

さらに規模が大きくなってくると、地元採用の数も増える。都市部から人を送り込むよりもその方が管理コストも下がってくる。

マーケティング部門、企業の上場を経験してきた藤原さんだが、まちづくりという業種と向き合ったときは「みんなほとんどボランティアベースだった」と言う。
「NPOやまちづくり会社って地方行政からの補助金を頼りに活動していて、それが切れたら終わりです。行政サービスに頼りきりなんて、それは事業じゃない。イメージも良くない。ならば、逆につくりがいがあるなと思いました」

若い人たちがわざわざ来て就職するような市場や会社をつくっていこうと決めた。ここでやっている仕事がカッコいいとなれば、人は戻ってくる。収益を生んで、持続させなければ──地方創生という大きな枠組みの中では、「事業としての魅力」が大きな吸引力となるのである。

空き家が、町をデザインする

「天空の城」で有名な竹田城を擁する、兵庫県朝来(あさご)市。2013年、ここに「 竹田城 城下町ホテル EN 」がオープンした。母体となっている建物は、大規模な酒蔵である旧木村酒蔵場だ。創業400年の歴史を持つ。すでに当主から朝来市に寄付されていた。

「規模が大きいので、プロパティマネジメントと同じような考え方で企画を進めました」
大きなショッピングセンターをどうやってつくり、どうテナントエリアを仕切っていくか、勉強と並行しながらだったという。こういった建物にカフェは付きものだが、それだけでは弱い。ギャラリー、フレンチレストラン、ショップ、マルシェなどを併設し、「複合商業施設」と呼ぶにふさわしい規模となった。竹田城観光の拠点でもあり、歴史を紹介する資料展示室も併設されている。

竹田城ホテル ENは自治体が建物を所有していたが、民間の建物を使って行ったケースが「篠山城下町エリア」。集落丸山の成功を受けて手がけたプロジェクトだ。
「資金調達も民間から。REVIC(地域経済活性化支援機構)のファンドも使うことができました。その頃、古民家投資案件が多くなり、政治家の間でも『これは面白いね』ということで視察も増えてきたんです。官房長官が視察に来たときいろいろと訴えたおかげか、旅館業法、建築基準法、文化財保護法も見直されることになりました」

民間の資金を使い、補助金はほぼ使っていない。これが全国モデルとして広がっていけば、古民家や歴史的な建物が残り、大きな市場も形成される。いわば、眠っていた空き家が町や経済をデザインしていくと言えるだろう。

丹波篠山 河原町妻入商家群

懐かしくて新しい日本の暮らしをつくる

藤原さんは「暮らしと文化はひとつの言葉」を哲学として掲げている。生活の中にある文化、それをしっかりと紡いでいくこと。
「あと、懐かしくかつ新しい、というのが重要です。たとえば、ここに外国人が移り住んだとしても50年経ったら融合する。耳慣れない言葉を喋っていたって、村の人たちがその意味を理解したらみんなそれを使い始める。やがて方言になっていくかもしれません」

村自身も進化し、そこに新しさが生まれる──時が醸しだす異文化のブレンドは、変容しながらも持続していくというわけだ。

さらに、「都市部一極集中だと集落は壊死してしまいますが、融合した暮らし文化ができていけば、経済の循環にもなります。地方に血液を送り込むことができ、壊死による切り捨てを回避できるんです」と続ける。

地方に血を通わせると、人が行き交い始め交流人口となる。泊まる個人は毎日違っても、交流人口は増えていく。「旅行者はしょせん立ち去るもので、その町に移り住んだ人こそが重要」と誰もが思いがちだが、新たな旅行者が絶え間なく訪れるなら、彼らが血液となってくれることを改めて教えられた。

「1000年2000年は残せないかもしれませんが、せめてあと三世代後、100年後にこのバトンをつないでいけば、また次の世代にそれを託していってくれるでしょう」
行かふ年も又旅人なり──そんな一文が頭によみがえってきた。

撮影:松村 隆史

株式会社NOTE 代表取締役 藤原 岳史(ふじわら たけし)さん

兵庫県篠山市出身。大学を卒業後、大阪の外食産業に就職しマーケティング部門を担当。IT企業に転職後、ITベンチャーに入社。2008年から故郷篠山市の再生に関わる。2009年一般社団法人ノオトを設立し、現在理事。株式会社NOTE代表取締役

株式会社NOTE

一般社団法人ノオトが培ってきたノウハウや知見を元に、収益事業を担う組織として設立。産業化を加速させる役割を担う。社が掲げる重要目標達成指標は「30,000棟を再生」。全国の歴史的建築物の空き家149万棟の20%は採算が合うように再生できる、そのうち10%を受け持とうとの思いで定めた。

住所
兵庫県篠山市立町190-6
会社HP
http://plus-note.com/