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GLOCAL MISSION Times 編集部

ユニクロでのたたき上げから、地元で5社の要職掛け持つ“複業家”へ

働き方改革が叫ばれる中、推奨されているのが「副業・兼業」という働き方です。そして今、さらに進んだ「複業」が注目されています。「副業」「兼業」はあくまで「本業」があってのもの。一方で、すべての仕事に正副をつけず取り組むのが「複業」です。それを実践する長谷川英幸さんは、「ユニクロ」の店長として全国トップの売り上げを記録した経験を持ち、本社マーケティング部への抜擢を経て、現在は北海道をベースとして5社の要職を掛け持ちしています。地元紙にもその働き方が取り上げられるなど、時代を先取りする存在です。

7つの名刺と数えきれない業務

取材を受けるまで、自分がそういうスタイル(複業)を先取りしているという気はありませんでした。身内からすれば、「息子は何の仕事をしているんだ?」と思っているようで、自分の働き方が世間に対して何らかの影響を与えられるということであれば、自信になります。

現在は7つの名刺を使い分けています。自分自身の屋号である「to.tomo」、そして業務委託を受けている5社のもの、それに仕事外で取り組んでいる「ウィンタースポーツの集い実行委員会」のものです。名刺こそありませんが「北海道の楽しい100人」というイベント運営もしています。

5社のうち4社は札幌を本社とする会社で、様々なコンセプトの飲食店を多店舗運営する会社、札幌から海外進出を目論むゲストハウス・シェアハウスの運営会社、世界と交わる空間を創り語学学校やコワーキングスペースを運営する会社、医師監修のエステ店を運営する会社です。残る一つは東京のブライダルコンサルティング関連会社となります。

「今の仕事は何屋なの?」と聞かれたら、説明に少し時間が必要になります。会社によってもタイミングによってもバラバラで、「社員教育」「採用支援」という人事的な仕事もしていますし、「商品開発」や「新規事業開発」という経営企画的な業務、「コンサルタント」として意見することもあれば、「現場マネージャー」を直に務める場面もあります。また広告やクリエイティブを司る担当者としての一面も。いずれも「経営幹部」としての機能を果たしながら兼務していると思います。そうした多様であることが自分の個性となっているのではないでしょうか。

北海道新聞に掲載された長谷川氏の記事

フリーターから数年で日本一店舗のマネジメント

高校を卒業して1年間フリーター、なんとなく短大に行って、卒業後また1年フリーターをやりました。もともと自分はフリーター志望だったんです。自由に生きていたいと思っていました。しかし、4年生大学に行っていれば卒業するタイミングだった22歳の時、このままではいけないと思い、自宅近くで開店するユニクロで、パートスタッフとして働き始めたのです。自分にとってはそこではじめて初めて決まった時間に働くという経験をします。

当時の北海道(1999年5月)には、ユニクロが5店舗しかありませんでした。その頃は北海道にユニクロが進出するということは社内でも大きなプロジェクトで、そこには社内の優秀な店長やマネージャーがたちが集められていました。若い組織で、私と同じ年の大卒社員もいました。そんな中、他店との交流の際に優秀な先輩店長から「お前、いけるんじゃないの」と言っていただいたことで、自分なりに意識するようになりました。翌年2月、働き始めて10ケ月後のことですが、ユニクロの正社員となり同時にその店の店長になりました。

仕事を始めてからは働いているという意識が全然なくて、毎日、没頭していました。そうこうしているうちに店長としても優秀だと評価を受けるようになって、1年後には新規オープンする札幌の旗艦店の店長に抜擢されました。当時まだ24歳で、これは相当に早い方だったと思います。

そして、その旗艦店で一気にブレークして(笑い)。全国650店舗の中で売上1位になりました。年商24億円、スタッフは120人で正社員は自分1人だけでした。それまでの自分では全然考えられなかったのですが、仕事に関してはなぜか習得は早かったのです。学生時代は地理で90点取ったかと思えば、歴史では赤点などと、かなり偏っていたのですが、店舗のマネジメントという問題は「解けた」のです。解けると評価も上がり、責任も増え、報酬も上がる。上がった分はスタッフと一緒に使っていました。特別賞として新車も買えてしまうような報奨金をいただきましたがスタッフと全部使いきりました。こうして士気も上がったし、当時の仲間とは今でも付き合いがあって、相談なんかにも来ます。

本社への抜擢 チラシマーケティングのプロに

店長での実績を買われて、次はエリアマネージャーという、広い地域を任される存在になりました。北海道を出て山形エリア担当となり、その後、東京・足立エリアの担当となりました。バイトの時給でいうと山形が800円、東京が1000円という感じで、典型的な地方と首都圏の両方を担当できたことは良かったと思います。地域性も店舗タイプも売り上げもマネジメントも違う。自分にとって多くの「気付き」がありました。

その後、入社から4年後に本社のマーケティング部に異動になりました。年間50~60の新規オープン店舗について、チラシの配布範囲を設定したり、掲載商品の選定、紙面のディレクションなどの業務を担当しました。既存店舗は配布エリアもだいたい決まっているレギュラールーティンになりがちですが、そこでも分析や現場の声を元に工夫を重ね、いつの間にか「マーケティング部のチラシ販促担当」としての立場が確立されていました。それもあり全都道府県のユニクロ店舗のチラシ配布の年間企画・調整へと担当の幅も広がり、また多くの新規事業のプロジェクトに参画することができました。結局、そこでは5年在籍し、ユニクロという実績もあり注目もある企業の本社にいたことで、企業人として学ぶことが多くありました。

ユニクロでの9年間はたくさんの業務に携わりました。店舗業務・本社業務・新規のプロジェクトと、元々フリーターだった僕には想像もできないことを経験できた毎日です。優秀なメンバーに揉まれましたし、北海道から沖縄まで日本全国の仕事をさせていただきました。ですが同時に、社内における自分のポジションや周囲からの期待などを前提に、自分らしさを欠いて「役割」に応じて過ごしている時間が増えていることに違和感も持っていました。ユニクロに在籍していたからこそ経験できたこと、出会えた人、行けた場所、吸えた空気。いろいろあります。成果や貢献を追求しながら必死に働いていました。ただ贅沢かもしれませんが「気まま」に働くことを望んでいた根っからのフリーター体質の自分は「ほんとにこれでいいのかな」と思うこともしばしばあったわけです。そのあたりが、北海道へのUターンへとつながっていくのです。

地元企業にUターン 本州出店に、DM大賞を2年連続受賞

北海道に帰ってきたのは9年前の2008年9月のことでした。信頼する方のお声掛けで、グローヴエンターテイメントという社員50人くらいのブライダル企業にUターン就職しました。北海道から本州に多店舗展開を仕掛けようとする果敢なチャレンジを計画している会社で、これまでの経験を存分に活かし、挑戦に対する一人の担い手になるべく選択したわけです。

転職にあたり、「なぜ働くのか」僕にとってのこれを再度見つめなおしました。マネジメントをしたかったわけでもない、マーケティングをしたかったわけでもない、東京に住みたかったわけでもない、世界的なビジネスマンを目指していたわけでもない。もう少し肩の力を抜いて、地元で自身の力を活かしていきたいと考えるようになり地元北海道に戻ることを選択したのです。

グローヴ社は自分の経験とノウハウを必要としてくれました。もちろん、ユニクロでも必要とされていたと思います。私自身もユニクロことを嫌になったことは一度もありません、辞めたいと思ったことも一度もありません。仕事にも懸命に取り組みましたし、ユニクロだからこそ自分自身も成長したと思います。ただ、身につけたものを、今後もユニクロのために発揮していくのか、そこに疑問が生まれました。結論として、自分は自分の力を「地元」で使いたいと考えるようになりました。それはひとつの覚悟でした。怖いと思う気持ちはあったもののユニクロで働く以上に自分の素の力を発揮できると思うことを選んだのです。

ブライダル業は自分にとって新しい仕事でした。一歩目は函館への新規出店を一手に引き受けることになりました。こんな「ズブの素人」に、その年の会社の売り上げの半分を超える投資となるプロジェクトを任せると言われたのです。なかなかしびれるものがありました。それまで学んだことをすべてつぎ込んで、無事オープンに成功し、札幌の本社に戻りマーケティング部の責任者なります。それからは広告や販促、本州進出のためのプロジェクトに携わりました。この間にDM大賞も受賞させてもらいました。2011年と12年に連続で銀賞になりました。そうそうたる企業が並ぶ中、銀賞でもトップ8に相当します。それまでの仕事の経験を評価されたようで、非常にうれしく思いました。

自分の経験を横断的に生かす働き方へ

2014年いっぱいで、自分のキャリアを整理しようと思い、グローヴ社を退職。そこから、今の生活が始まります。ユニクロやグローヴ社での経験、DM大賞の実績などにより、自分のこれまでの経験を面白がり、「興味がある」「教えてほしい」という人が周りに増えてきたこともありました。ひとつの会社に務めるよりも、自分の経験や知識を広く横断的に生かしていくことにとても興味を覚えました。とはいえ、自分自身に勝算はありませんでしたね。ここでもフリーター精神が発揮です。

人との出会いにも恵まれて、1年目から矢継ぎ早にクライアントとなる企業が現れ、それぞれの企業が規模や売上を伸ばしています。3年目となる今は自分自身の働き方を改めて見つめ、改革の時期に入っています。

「そんなに多くの業務をこなせるのですか」という声もありますが、僕はたまたま務めさせてもらった会社で様々な経験をさせてもらったことが大きな要因です。またユニクロで仕事を覚えた頃の「基準」は今の自分を作っています。自分の時間をコントロールすることと役割を明確にすることで十分に複業は可能です。もちろん、歳もとりますから常に働き方を改善していくことが必要だと感じていますし、リスクも多くあります。ただ、会社員でいた時分より、より快適によりエネルギッシュに生きられている、と強く感じています。

長谷川 英幸(はせがわ ひでゆき)さん

1976年、北海道札幌市出身。高卒後、1年のフリーターを経て酪農学園短大を卒業。さらに1年のフリーター生活を経て、1999年からユニクロ店舗でパートとして働き始める。10ケ月後に正社員登用され、同時に店長に昇格となる。その翌年には札幌の旗艦店新規出店の店長に就任し、同店で全国一の売り上げを記録する。その後は山形、東京のエリアマネージャー、本社マーケティング部で働き、2008年に北海道に戻り、ブライダル関連会社で働いた後、2015年からフリーの「複業家」としての道を歩む。